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日本ロマンチック街道

雑木林
関東の雑木林は、一般にくぬぎやコナラなどの落葉広葉樹で構成されている。成長が早いクヌギコナラは、伐採してマキや炭など燃料に使われ、山沿いの農家ではしいたけ栽培の原木になる。
落ち葉は堆肥作りに利用されてきた。林床には十分な日照があり、適度に人の手が加わった雑木林は自然の森より草木の種類もずっと多く人々はその自然の恵みを利用してきた。大切な地域の水源涵養林であり、農業との関わりは深く、雑木山はその地域の大切な資源である。

群馬県沼田市片品川河岸段丘で、3軒のトマト団地がある。長老の大島さんは3 棟のハウスで桃太郎トマトを栽培している。。この地域では7 月初旬から霜が降りるまで、トマトの出荷が忙しいときだ。野菜づくりにかけてはベテランの大島ん。そして今はもう「趣味の園芸」だよと。

陶芸の町益子で修行して、定年後那須に移住し、いまや名刺の タイトルは陶芸家。母屋の横に創作棟と窯を整えて、炭で焼き上げている。釉薬は一切つかっていない。信楽焼や備前焼のようでもない。炭の炎が創りだした見事な肌合いの器である。

西金砂神社は、常陸太田市上宮河内町の西金砂山山上にに鎮座する大己貴命を主神とする神社。9世紀半ばの平安時代から続くと伝えられる、72年ごとの未年に行われる磯出大祭礼と、6年ごとの丑年と未年に行 われる小祭礼、それに伴い奉奏される田楽舞で有名である。

いくつもの焚き火がたかれ、数千人が集う。真冬の花火大会が始まる。祭りは、毎年二月の第2土曜日に昭和村総合運動公園で開かれる。「子供たちに夢と想い出を!」をテーマに、子供たちも大人も一日楽しめるお祭りになった。

真っ暗な高原の冬空にドーンと打ち上げ音をのこして火の帯が駆けのぼり大輪の花がいっぱいに開いた昭和村が春をまつ花火だ「どうして昭和村にはお祭りがないの?」という愛娘のことばに、お父さんが動いた。花火大会になった。

高山植物の黄色の蓮華躑躅、最近はほとんど見かけない。那須高原の八幡ツツジ園で見つけた。数十年ぶりで、レモンイエローの花を見つめた。

つぶらな瞳。那須高原では有名な美人犬。

雑木林の落葉をあつめて、堆肥にし、薪を取り、下草は、家畜の肥料に、木端は、建築資材にと。きれいな水や空気もふくめ、雑木山の全ての循環をベースに、自給を主体にした農業。自分で作ったものを自分で消費しながら積み上げ、農村の文化を見直し、日本の原風景である循環型雑木山農業を実践。益子町山崎農園のイロリ。

陶芸のまち益子町小泉地区は町の南に位置し茨城県と県境を接する集落。里山の景観を四季色濃く残してくれている。かっては葉たばこ栽培が盛んだったところで、裏作にそばや大麦・小麦などが栽培されてきた。ここで『十五夜の月を観ながらそばを食べる会』が、地域の営農集団やお母さんたちが集まり開かれた。ぼうじぼとは子供たちが藁鉄砲を地面に叩きつけ「大麦あたれ小麦あたれ三角畑の蕎麦あたれ」と唱えて豊作を祈る行事。

秋も深まってくるとあちこちの直売所や道の駅では、収穫祭が開かれる。東山道伊王野の収穫祭。炊きたての新米が振舞われ、郷土料理のすいとんは、大盛り。食べきれません。

道の駅田園プラザのブルーベリー公園では、無料でブルーベリーの摘み取りができる。川場村産地ビールを特別価格で飲むことが出来るビールまつりなどなど、行楽シーズンには家族連れを中心に多くの来客で賑う。

益子は、典型的な中山間地の景観が広がる。車を降り、マムシに噛まれないように足元の草をを棒でつつきながら歩いて、わけ行った先には全く人の手が入っていない自然のままの雑木林。

茨城県大子町の青年友志が主催する、田植え体験。今にも降りだしそうな絶好の田植え日より。雨に追いかけられ集会所へ。お昼ご飯は、地元のお母さんたちが作ったお赤飯・プリプリこんにゃくが入った煮物。昨日採ったふきの煮物美味しかった。

お楽しみの収穫祭。稲を借り、束ねて、稲架がけする。今度は廃校になった木造校舎の校庭で、かまど炊きご飯と炭火焼のさんまでお昼ご飯。ゴックン!

那須町のチーズケーキ工房「マニワファーム」の入口に白い葉っぱが夏に涼しげな初雪草が咲いていた。

美味しいほうれん草を旬菜館に出荷している石井さんの家のコネコ。名前はにゃい。ニャンとも可愛いニャン。
